この家は画家猪熊弦一郎・文子夫妻と弟家族のために旧知の仲だった建築家吉村順三が設計し1970年に竣工した二世帯住宅兼アトリエです。建物は猪熊さんが庭に植えた故郷のオリーブの樹を抱え込むような形で開放的な住居部分と、その奥には広いアトリエと弟世帯の寝室などのプライベートな部分が配置されています。今も1階は妻・文子さんの甥家族が住み、2階猪熊夫妻の住居は文子さんの姪のご主人で建築家の大澤悟郎さんが事務所として使っています。ほとんどの作品やコレクション・家具が猪熊弦一郎現代美術館に寄贈されていたため大澤さんが設計料から同種の家具を買い揃え、一時期改装して使われていた部分も修復メンテナンスしながら維持されていて継承者に恵まれることの大切さを感じます。
夕暮れてあかりの灯った居間、
猪熊夫妻と順三さん、イサムさんが寛ぎ話している姿がうかびます。
依頼時の注文は天井をあまり高くしないこと、アーリーアメリカンの建物体験を引き合いにして部屋に座った時に包まれた空間が安心感を与えるような広さと高さで、アトリエは出来るだけ広くとって下さいと言うものでした。猪熊夫妻のニューヨークでの暮らしぶりを知る吉村氏は、客人をもてなすオープンな性格や美を見出す様々なコレクションと作品を飾るミニギャラリーの要素も加味して、当時まだ珍しかったアイランド形式のキッチンや玄関とバスルーム以外ドアの無い白一色のワンルーム住居を提案しています。当初文子さんは寝室にドアを付けたかったようですが実際は居間と寝室の境は高さ160センチ程のつい立で現場監理の際にこの部分を熟考し作り直したのかブロック壁との継ぎ目には被せて補修した跡が残っています。猪熊さんが亡くなってしばらくするとオリーブの大木も一度枯れましたが今はヒコバエが2階窓腰まで伸びてきていました。
猪熊夫妻の暮らしや創作の様子、イサム・ノグチをはじめ多彩な友人とのエピソード、白いワンルームでの暮らしを補う広いアトリエと3階来客用の和室や設備設計、大きなキャンティレバーや北側斜線をかわす構造の工夫、50年後の不具合なども伺いながら、何とも言えない居心地の良さに時間を忘れ外はすっかり夕暮れているのでした。
(赤沼 修/赤沼修設計事務所)
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